2011年11月27日
NBA開幕決定
久しぶりにうれしいニュースが!
労使交渉でもめてロックアウトしていたNBAが12月に開幕することが決定!
イヤー楽しみ。オフの移籍はこの1カ月で続々決まるだろうし、この1カ月楽しみでしかたない!
ただね・・・こうなってくると頭が痛いのはNBAリーグパスプロードバンドをどうするか?
全試合LIVE&オンデマンドで観れるのはとっても魅力だし、価格も1万円台(昨シーズン)だから、
加入したいんだけど・・・
はたしてそんなに試合観る時間があるのか?
仕事もバンバンしないといけないし(売上はまだないけど・・・)、
でも今の仕事だったら、横目で見ながら出来るかも。
とにかくあと1カ月よく考えます。
あー楽しみだ!
労使交渉でもめてロックアウトしていたNBAが12月に開幕することが決定!
イヤー楽しみ。オフの移籍はこの1カ月で続々決まるだろうし、この1カ月楽しみでしかたない!
ただね・・・こうなってくると頭が痛いのはNBAリーグパスプロードバンドをどうするか?
全試合LIVE&オンデマンドで観れるのはとっても魅力だし、価格も1万円台(昨シーズン)だから、
加入したいんだけど・・・
はたしてそんなに試合観る時間があるのか?
仕事もバンバンしないといけないし(売上はまだないけど・・・)、
でも今の仕事だったら、横目で見ながら出来るかも。
とにかくあと1カ月よく考えます。
あー楽しみだ!
2011年11月04日
NBAロックアウト
11月に入り、例年なら非常に楽しみなこの時期が寂しい・・・。
NBAはどこにいってしまうのだろう?
かれこれ15年ほどファンであり続けたし、再開されればこれからも観るとは思うが、
何か引っかかるものがある。
所詮はお金の取り分の話。数%のせめぎ合い、金額にすれば大きな額(私の金銭感覚では)だろうが、
元々大金持ち同士の話じゃないか?
パイの分け前の話も重要だとは思うけど、パイを広げるための話をすればいいのに!
今のままじゃ小さくなる一方だよ。
ファンあってのプロスポーツだし、裏方で支えられていろんな運営が出来ているはず。
折り合わない数%をどちらも譲って、ファンサービスに充てるとか、職員の待遇を良くするとか出来ないものか?
お金はなくても困るし、あっても争いの元。
せっかく昨シーズンのファイナルは最高に盛り上がったのにとても残念。
創刊以来購読している「ダンクシュート」という専門誌もさすがにネタ切れな様子。
いっそのこと発行を一時中断して欲しいくらい。
世界中のNBA専門誌が一度に中止したら・・・。
結構圧力になるかもね。
さすがのデビット・スターンもまとめきれないか?
今はただ早くNBAのシーズンが開幕してくれることを祈るばかり。
NBAはどこにいってしまうのだろう?
かれこれ15年ほどファンであり続けたし、再開されればこれからも観るとは思うが、
何か引っかかるものがある。
所詮はお金の取り分の話。数%のせめぎ合い、金額にすれば大きな額(私の金銭感覚では)だろうが、
元々大金持ち同士の話じゃないか?
パイの分け前の話も重要だとは思うけど、パイを広げるための話をすればいいのに!
今のままじゃ小さくなる一方だよ。
ファンあってのプロスポーツだし、裏方で支えられていろんな運営が出来ているはず。
折り合わない数%をどちらも譲って、ファンサービスに充てるとか、職員の待遇を良くするとか出来ないものか?
お金はなくても困るし、あっても争いの元。
せっかく昨シーズンのファイナルは最高に盛り上がったのにとても残念。
創刊以来購読している「ダンクシュート」という専門誌もさすがにネタ切れな様子。
いっそのこと発行を一時中断して欲しいくらい。
世界中のNBA専門誌が一度に中止したら・・・。
結構圧力になるかもね。
さすがのデビット・スターンもまとめきれないか?
今はただ早くNBAのシーズンが開幕してくれることを祈るばかり。
タグ :NBA
2011年10月07日
極私的NBAプレイバック90年代Ⅲ
今回はNBAプレイバック90年代の第3回。
「MJ2度目の3連覇期」(95-96~99-00)です。
MJ2度目の3連覇の時は自分の大学生活と重なり時間に余裕も出来たため、
ファイナルの生放送(平日の午前中)も観れたため、今考えるとかなり恵まれていました。
この3シーズンMJのブルズがとにかく強かったのは言うまでもないですが、
神ことMJに史上最高の第2の男ピッペン、そして悪童ロッドマンと面子も役者ぞろいでした。
相手も同じイーストではニックスやペイサーズ、ウエストにはジャズとおもしろい対決を演出してくれました。
ドラマよりドラマチックな展開で3連覇したのですが、個人的にはこのⅢ期とした5年間で3回した現地観戦が一番の思い出です。
この時からツアーを止め、一切の手配を自分でするというスタイルに変更。
今と違ってNETが充実していない時代でしたので、アメリカとはFAXでやり取りしていたのを覚えています。
まずは96年3月に大学の友人3人で西海岸(LAとSF)に行きます。
このときクリッパーズのホームコートでみたグラント・ヒルはかっこよかった!
そしてそのアリーナはとてもおんぼろで治安も悪いところで怖かった・・・。
今はなきフォーラムで観戦したレイカーズ戦もよい思い出です。
そしてオークランドで観戦したのはキングスvsウォリアーズ。
リッチモンドとスプリーのSG対決は見ものでした。
自分たちだけでいく海外旅行は初めてでしたが、良い経験になりました。
そして98年は大学の卒業旅行。
このときは3週間くらい行ってました。
NY→フィラデルフィア→ワシントンDC→シカゴ→シアトル→ハワイ(笑)
という飛行機あり鉄道ありの移動でした。
しかもすべての場所でホテルの予約すらしないという今考えるとかなり無謀な旅でした。
NYではMSGで観戦したかったのですが、価格が高すぎて断念・・・。
代わりに鉄道で移動しながら2試合観戦。
若きアイバーソンやクリス・ウェバーの試合を観戦。
そして飛行機でシカゴへ。
思ったより寒くなく、念願のシカゴスタジアムへ。
さすがにこの試合のチケットは予約しましたが3階席・・・。
双眼鏡でMJの姿を見ていました。
そしてお約束のMJレストランへ。
このとき買ったキーホルダーは未だに使ってます。
そしてなんと近々MJレストラン復活するみたいです。
また行ってみたいな~。
次のシアトルでは相手は忘れましたが、ブザービーターで決着がつく面白い試合を観れました!
とここまでのシーズンでMJは引退。
これからは西高東低な時代が続いていきます。
そして3回目はむりやり90年代にしちゃいましたが、99-00シーズンのプレイオフ。
昔からいつかプレイオフを現地観戦してみたいと思っていました!
このときは社会人になっていましたが、当時の目標は新婚旅行でファイナル観戦すること。
ということは相手の条件はそれがOKな人ということでした。
でも2週間行って1試合だけという条件でしたが・・・
しかもファイナルではなくカンファレンスファイナルに落ち着きました。
どこで開催されるか直前までわからないというプレイオフ観戦の難しさを実感しました。
今度は息子とファイナル観戦を目標にしています。
でもこのシーズンのプレイオフは面白かった。
コービー&シャックのレイカーズと選手層の厚い(ピッペンもいた)ブレイザーズのCF第6戦をレイカーズのベンチ裏5列目で観戦!1人10万円なり!!
それまで10試合くらい観てきたレギュラーシーズンとは全然違う雰囲気!
しかもホームのブレイザーズが勝利するという展開に盛り上がりは半端なかったです!
それにしてもポートランドという町はきれいでこじんまりといしていてよかったです。
そしてこのⅢ期でMJ世代からシャックやアイバーソン、コービーへと時代は変わっていきます。
現代はそんな選手たちも引退か晩年ですね~、いやー時代を感じるぜ!
と個人的に楽しく3回にわたって回想してきましたが、な、なんとロックアウト中のNBA、
労使交渉が決裂してシーズンが消滅するかもしれないという危機だというニュースが飛び込んできました!
あぁー今年はNBA観れないのかな~。
人気(特に日本での)が下がってしまうのが心配です。
なんとかしてくれ!大金持ち同士(球団オーナーと選手)、金持ち喧嘩せずでいこうよ!
「MJ2度目の3連覇期」(95-96~99-00)です。
MJ2度目の3連覇の時は自分の大学生活と重なり時間に余裕も出来たため、
ファイナルの生放送(平日の午前中)も観れたため、今考えるとかなり恵まれていました。
この3シーズンMJのブルズがとにかく強かったのは言うまでもないですが、
神ことMJに史上最高の第2の男ピッペン、そして悪童ロッドマンと面子も役者ぞろいでした。
相手も同じイーストではニックスやペイサーズ、ウエストにはジャズとおもしろい対決を演出してくれました。
ドラマよりドラマチックな展開で3連覇したのですが、個人的にはこのⅢ期とした5年間で3回した現地観戦が一番の思い出です。
この時からツアーを止め、一切の手配を自分でするというスタイルに変更。
今と違ってNETが充実していない時代でしたので、アメリカとはFAXでやり取りしていたのを覚えています。
まずは96年3月に大学の友人3人で西海岸(LAとSF)に行きます。
このときクリッパーズのホームコートでみたグラント・ヒルはかっこよかった!
そしてそのアリーナはとてもおんぼろで治安も悪いところで怖かった・・・。
今はなきフォーラムで観戦したレイカーズ戦もよい思い出です。
そしてオークランドで観戦したのはキングスvsウォリアーズ。
リッチモンドとスプリーのSG対決は見ものでした。
自分たちだけでいく海外旅行は初めてでしたが、良い経験になりました。
そして98年は大学の卒業旅行。
このときは3週間くらい行ってました。
NY→フィラデルフィア→ワシントンDC→シカゴ→シアトル→ハワイ(笑)
という飛行機あり鉄道ありの移動でした。
しかもすべての場所でホテルの予約すらしないという今考えるとかなり無謀な旅でした。
NYではMSGで観戦したかったのですが、価格が高すぎて断念・・・。
代わりに鉄道で移動しながら2試合観戦。
若きアイバーソンやクリス・ウェバーの試合を観戦。
そして飛行機でシカゴへ。
思ったより寒くなく、念願のシカゴスタジアムへ。
さすがにこの試合のチケットは予約しましたが3階席・・・。
双眼鏡でMJの姿を見ていました。
そしてお約束のMJレストランへ。
このとき買ったキーホルダーは未だに使ってます。
そしてなんと近々MJレストラン復活するみたいです。
また行ってみたいな~。
次のシアトルでは相手は忘れましたが、ブザービーターで決着がつく面白い試合を観れました!
とここまでのシーズンでMJは引退。
これからは西高東低な時代が続いていきます。
そして3回目はむりやり90年代にしちゃいましたが、99-00シーズンのプレイオフ。
昔からいつかプレイオフを現地観戦してみたいと思っていました!
このときは社会人になっていましたが、当時の目標は新婚旅行でファイナル観戦すること。
ということは相手の条件はそれがOKな人ということでした。
でも2週間行って1試合だけという条件でしたが・・・
しかもファイナルではなくカンファレンスファイナルに落ち着きました。
どこで開催されるか直前までわからないというプレイオフ観戦の難しさを実感しました。
今度は息子とファイナル観戦を目標にしています。
でもこのシーズンのプレイオフは面白かった。
コービー&シャックのレイカーズと選手層の厚い(ピッペンもいた)ブレイザーズのCF第6戦をレイカーズのベンチ裏5列目で観戦!1人10万円なり!!
それまで10試合くらい観てきたレギュラーシーズンとは全然違う雰囲気!
しかもホームのブレイザーズが勝利するという展開に盛り上がりは半端なかったです!
それにしてもポートランドという町はきれいでこじんまりといしていてよかったです。
そしてこのⅢ期でMJ世代からシャックやアイバーソン、コービーへと時代は変わっていきます。
現代はそんな選手たちも引退か晩年ですね~、いやー時代を感じるぜ!
と個人的に楽しく3回にわたって回想してきましたが、な、なんとロックアウト中のNBA、
労使交渉が決裂してシーズンが消滅するかもしれないという危機だというニュースが飛び込んできました!
あぁー今年はNBA観れないのかな~。
人気(特に日本での)が下がってしまうのが心配です。
なんとかしてくれ!大金持ち同士(球団オーナーと選手)、金持ち喧嘩せずでいこうよ!
2011年10月03日
極私的NBAプレイバック90年代Ⅱ
週末雑誌に載っていたレシピでミートソースを作ったら、
簡単な割に本格的でとても美味。こういうときは嬉しいよね!
というわけで今日はNBA90年代プレイバックの第2弾をお送りします!
第Ⅱ期「MJ引退&復活期」(93-94~94-95シーズン)
この2年間はマイケル・ジョーダンが不在のシーズンで、まさに群雄割拠の時代でした。
今までMJやひとつ前の世代に優勝を阻まれていたMJ世代が大活躍。
サンズのバークリー、ジャズのストックトン&マローン、ニックスのユーイング、ペイサーズのレジー・ミラー等々。
数々の名勝負も生まれました!
ミラータイムという言葉が生まれた94年CFのペイサーズvsニックスのシリーズに、
翌年も同じ顔合わせのCSFでレジー・ミラーがラスト18秒で8点取って大逆転したりもしたな~。
MJと同世代のスーパースターがここぞとばかりに優勝を狙っていた中、
結果的に2連覇したのがザ・ドリームことオラジュワン率いるロケッツ。
この2シーズンのオラジュワンは凄かった。必殺ドリームシェイクはファイナルで若きシャックやユーイングを一蹴。
オラジュワン+ロールプレイヤーのチームで最初の年はファイナルでユーイングのニックスとの死闘を制し、
2年目はウエストの第6シードからアップセットを繰り返し、ファイナルでは若きマジックをスイープしてしまったり。
84年ドラフトの1位がオラジュワンで3位がジョーダンなんですよね。
プレイヤ―としてのピークをこの2年に持ってきて結果的にジョーダンと同世代ながら直接対決することなく、
2つのリングをゲットしました。
上述した他のメンバーがジョーダンと何度も直接対決し、結局一つもリングを取れなかったことを考えるとオラジュワンの凄さと運の良さがわかります。実力だけは勝てない世界ですね。
さて知っている人は知っていると思いますが、実はジョーダン不在としているこの2シーズンですが、
実は2シーズン目後半「I'be back」という名言とともに電撃復帰しました!
でもまだ本調子ではなくプレイオフで敗退してしまうのですが、そのマジック戦も見ごたえがありました!
個人的にもこの時期高校から大学へ進学し、ついにNBA現地観戦を果たします。
高校時代の友人を無理やり誘い、人生初めての飛行機&海外旅行。
行先は成田から15時間くらいかかったアトランタとオーランド!
4泊6日という強行日程でホークスvsブルズ、マジックvsウォーリアーズという2試合でした。
2月に行ったのですが予約は年末にしてあったため、
何とアトランタでの試合は偶然にもマイケル・ジョーダン復帰4試合目くらいでした!
これには驚きました!まさか復帰するとは思ってもいなかったので、本当に思いもよらず生マイケル・ジョーダンを拝むことが出来ました。席も1階席でゴール裏と比較的見やすい席でしたし、45番を付けたジョーダンを観れたのは自慢です。
しかも試合の方はジョーダンのブザービーターで終わるというおまけ付き!
時差ぼけでの寝不足も吹っ飛ぶ最高の試合でした!
2試合目は試合的には大差がついてしまいましたが、当時No.1の若手シャック&ペニーが観れれば満足でした。
ただ初めてのNBA観戦で一つ悔やまれるとしたら、オプションで付けられたニューヨークでのニックスvsブルズを申し込まなかったことです。
なにせ学生で資金的にもギリギリでしたので、あきらめたのですが、申し込んでおけばジョーダンがMSGで55点取るという試合も観れたのに・・・。
しかも当時は今ほどではないにせよ円高でしたし、オプションの申し込みもやはりジョーダン復帰前でしたので、今から考えればかなり格安の料金でした(それでもエアー代とただでさえ高いMSGでのチケット代で4,5万くらいだった気がします)。
もう15年以上も前か~。懐かしいな~。
そんなわけで極私的NBAプレイバック90年代Ⅱ期でした。
次は「MJ2度目の3連覇期」をお送りします!
簡単な割に本格的でとても美味。こういうときは嬉しいよね!
というわけで今日はNBA90年代プレイバックの第2弾をお送りします!
第Ⅱ期「MJ引退&復活期」(93-94~94-95シーズン)
この2年間はマイケル・ジョーダンが不在のシーズンで、まさに群雄割拠の時代でした。
今までMJやひとつ前の世代に優勝を阻まれていたMJ世代が大活躍。
サンズのバークリー、ジャズのストックトン&マローン、ニックスのユーイング、ペイサーズのレジー・ミラー等々。
数々の名勝負も生まれました!
ミラータイムという言葉が生まれた94年CFのペイサーズvsニックスのシリーズに、
翌年も同じ顔合わせのCSFでレジー・ミラーがラスト18秒で8点取って大逆転したりもしたな~。
MJと同世代のスーパースターがここぞとばかりに優勝を狙っていた中、
結果的に2連覇したのがザ・ドリームことオラジュワン率いるロケッツ。
この2シーズンのオラジュワンは凄かった。必殺ドリームシェイクはファイナルで若きシャックやユーイングを一蹴。
オラジュワン+ロールプレイヤーのチームで最初の年はファイナルでユーイングのニックスとの死闘を制し、
2年目はウエストの第6シードからアップセットを繰り返し、ファイナルでは若きマジックをスイープしてしまったり。
84年ドラフトの1位がオラジュワンで3位がジョーダンなんですよね。
プレイヤ―としてのピークをこの2年に持ってきて結果的にジョーダンと同世代ながら直接対決することなく、
2つのリングをゲットしました。
上述した他のメンバーがジョーダンと何度も直接対決し、結局一つもリングを取れなかったことを考えるとオラジュワンの凄さと運の良さがわかります。実力だけは勝てない世界ですね。
さて知っている人は知っていると思いますが、実はジョーダン不在としているこの2シーズンですが、
実は2シーズン目後半「I'be back」という名言とともに電撃復帰しました!
でもまだ本調子ではなくプレイオフで敗退してしまうのですが、そのマジック戦も見ごたえがありました!
個人的にもこの時期高校から大学へ進学し、ついにNBA現地観戦を果たします。
高校時代の友人を無理やり誘い、人生初めての飛行機&海外旅行。
行先は成田から15時間くらいかかったアトランタとオーランド!
4泊6日という強行日程でホークスvsブルズ、マジックvsウォーリアーズという2試合でした。
2月に行ったのですが予約は年末にしてあったため、
何とアトランタでの試合は偶然にもマイケル・ジョーダン復帰4試合目くらいでした!
これには驚きました!まさか復帰するとは思ってもいなかったので、本当に思いもよらず生マイケル・ジョーダンを拝むことが出来ました。席も1階席でゴール裏と比較的見やすい席でしたし、45番を付けたジョーダンを観れたのは自慢です。
しかも試合の方はジョーダンのブザービーターで終わるというおまけ付き!
時差ぼけでの寝不足も吹っ飛ぶ最高の試合でした!
2試合目は試合的には大差がついてしまいましたが、当時No.1の若手シャック&ペニーが観れれば満足でした。
ただ初めてのNBA観戦で一つ悔やまれるとしたら、オプションで付けられたニューヨークでのニックスvsブルズを申し込まなかったことです。
なにせ学生で資金的にもギリギリでしたので、あきらめたのですが、申し込んでおけばジョーダンがMSGで55点取るという試合も観れたのに・・・。
しかも当時は今ほどではないにせよ円高でしたし、オプションの申し込みもやはりジョーダン復帰前でしたので、今から考えればかなり格安の料金でした(それでもエアー代とただでさえ高いMSGでのチケット代で4,5万くらいだった気がします)。
もう15年以上も前か~。懐かしいな~。
そんなわけで極私的NBAプレイバック90年代Ⅱ期でした。
次は「MJ2度目の3連覇期」をお送りします!
2011年09月28日
極私的NBAプレイバック90年代Ⅰ
NBA(アメリカのプロバスケットボールリーグです)大好きなほぼ主夫です。
もうかれこれ20年になりますね~(遠い目)。
創刊号から購入しているNBAの月刊誌があるのですが、
今月の特集が「90年代vs現代 黄金時代徹底比較」という企画でした!
いや~懐かしいな~90年代、そう僕がNBAを見だしたのがまさにその90年代91-92シーズンからでした。
というわけで極私的にNBAの90年代を3回に分けて振り返ってみたいと思います!
第Ⅰ期(91-92シーズン~91-93シーズン)
[MJ最初の3連覇期]
90年代は89-90シーズンから言うらしいですが、私的には91-92シーズンから観はじめたのでここがスタートです。
何と言っても「神」ことマイケルジョーダンに尽きますね。
初めて観たNBA放送でMJのすごさに驚愕し、そこからは彼とNBAの虜になりました。
といっても当時はBSで週に2回くらいの放送のみ。
しかも自宅にBSを引くまでの間、友人に毎回録画してもらいそれを見るというNBAライフでした。
1年後からはめでたく自宅でNBA観戦が可能になり、その時はサイコーでしたね。
この第Ⅰ期はいつか現地でNBAを見たいということをいつも考えながら観戦する高校生でした。
幸い友人も何人かNBAに引きづり込んで楽しくNBA談義したのを覚えています。
初めて観た(TVですが)NBAファイナルはブルズvsブレイザーズ。
このシリーズももちろんジョーダンの独壇場。
3ポイント連発の試合や第6戦の大逆転勝利は本当に興奮したな~。
そしてオフにはあの伝説のドリームチームによるバルセロナオリンピック!
後にも先にもドリームチームと言えるのはあのチームだけですね。
このころになるとNBA人気が高まり、エアジョーダンシリーズがバカ売れしましたね。
僕はというと「フン、みんなミーハーだな!」とか思いながら選手名鑑とにらめっこしてました。
1年しか早く観てないのにね(笑)。
そして3連覇を決めた翌シーズンのプレイオフも凄かった。
ニックスとのシリーズやサンズとのファイナルもサイコーに面白かった。
今このブログを書いていて思い出しましたが、僕がNBAというものを知ったのは、
あの「マジック・ジョンソン」の引退会見でした。
当時まだ絶頂期にあった彼がHIV感染を理由に引退したのですが、
なぜかそれを見たときに感じるところがあったんです。
そしてシーズン前に引退したにもかかわらず選ばれた92年のオールスターでの活躍は本当に「マジック」でした。
他にもこの時代好きだったチーム・選手はネクストブルズと言われたホーネッツの中心選手アロンゾ・モーニングです。
一般的にはヒート時代の方が有名ですが、僕はルーキーから数年間在籍したホーネッツ時代が大好きでした。
マグジー・ボーグス、ケンドール・ギル、ラリー・ジョンソン、そしてモーニングと有望若手を揃えたチームは観ていて楽しかったですね。
それもジョンソンとモーニングの不仲で崩壊するまでは・・・。
そしてそれがさらに数年後のヒートとニックスの因縁にまで発展するとは・・・。
でもモーニングは時代が悪かった。
史上最高のセンターとも言われるあのシャキール・オニールと同期なんですよ。
オニールがドラフト1位でモーニングが2位、オニールがいなければ・・・。
まぁそういう選手は他にもいますが、それだけオニールが偉大ということでしょう。
そういえば高校3年の夏休み友人を誘ってオニールの来日イベントに行ったのを覚えています。
あれは有明コロシアムでしたか、遠くからでしたが大きく見えました!
そしてもう一人はラトレル・スプリーウェルがいたウォリアーズです。
ティム・ハーダウェイ、クリス・マリン、クリス・ウェバーそしてスプリーと揃ったチームも面白かったですね。
彼はのちに練習中コーチの首を絞めるという事件をおこし、出場停止をくらいトレードされるという目にあいますが、
ニックスであれだけの復活をするとは誰も思わなかったでしょうね。
いや~チームや選手はいっぱい出てきますね。
誰かと語り合いたいっす!
マイケル・ジョーダン一回目の引退が93年のオフ。
というわけで93シーズンまでを第Ⅰ期としました。
第Ⅱ期は「MJ引退&復活期」としてお送ります。
もうかれこれ20年になりますね~(遠い目)。
創刊号から購入しているNBAの月刊誌があるのですが、
今月の特集が「90年代vs現代 黄金時代徹底比較」という企画でした!
いや~懐かしいな~90年代、そう僕がNBAを見だしたのがまさにその90年代91-92シーズンからでした。
というわけで極私的にNBAの90年代を3回に分けて振り返ってみたいと思います!
第Ⅰ期(91-92シーズン~91-93シーズン)
[MJ最初の3連覇期]
90年代は89-90シーズンから言うらしいですが、私的には91-92シーズンから観はじめたのでここがスタートです。
何と言っても「神」ことマイケルジョーダンに尽きますね。
初めて観たNBA放送でMJのすごさに驚愕し、そこからは彼とNBAの虜になりました。
といっても当時はBSで週に2回くらいの放送のみ。
しかも自宅にBSを引くまでの間、友人に毎回録画してもらいそれを見るというNBAライフでした。
1年後からはめでたく自宅でNBA観戦が可能になり、その時はサイコーでしたね。
この第Ⅰ期はいつか現地でNBAを見たいということをいつも考えながら観戦する高校生でした。
幸い友人も何人かNBAに引きづり込んで楽しくNBA談義したのを覚えています。
初めて観た(TVですが)NBAファイナルはブルズvsブレイザーズ。
このシリーズももちろんジョーダンの独壇場。
3ポイント連発の試合や第6戦の大逆転勝利は本当に興奮したな~。
そしてオフにはあの伝説のドリームチームによるバルセロナオリンピック!
後にも先にもドリームチームと言えるのはあのチームだけですね。
このころになるとNBA人気が高まり、エアジョーダンシリーズがバカ売れしましたね。
僕はというと「フン、みんなミーハーだな!」とか思いながら選手名鑑とにらめっこしてました。
1年しか早く観てないのにね(笑)。
そして3連覇を決めた翌シーズンのプレイオフも凄かった。
ニックスとのシリーズやサンズとのファイナルもサイコーに面白かった。
今このブログを書いていて思い出しましたが、僕がNBAというものを知ったのは、
あの「マジック・ジョンソン」の引退会見でした。
当時まだ絶頂期にあった彼がHIV感染を理由に引退したのですが、
なぜかそれを見たときに感じるところがあったんです。
そしてシーズン前に引退したにもかかわらず選ばれた92年のオールスターでの活躍は本当に「マジック」でした。
他にもこの時代好きだったチーム・選手はネクストブルズと言われたホーネッツの中心選手アロンゾ・モーニングです。
一般的にはヒート時代の方が有名ですが、僕はルーキーから数年間在籍したホーネッツ時代が大好きでした。
マグジー・ボーグス、ケンドール・ギル、ラリー・ジョンソン、そしてモーニングと有望若手を揃えたチームは観ていて楽しかったですね。
それもジョンソンとモーニングの不仲で崩壊するまでは・・・。
そしてそれがさらに数年後のヒートとニックスの因縁にまで発展するとは・・・。
でもモーニングは時代が悪かった。
史上最高のセンターとも言われるあのシャキール・オニールと同期なんですよ。
オニールがドラフト1位でモーニングが2位、オニールがいなければ・・・。
まぁそういう選手は他にもいますが、それだけオニールが偉大ということでしょう。
そういえば高校3年の夏休み友人を誘ってオニールの来日イベントに行ったのを覚えています。
あれは有明コロシアムでしたか、遠くからでしたが大きく見えました!
そしてもう一人はラトレル・スプリーウェルがいたウォリアーズです。
ティム・ハーダウェイ、クリス・マリン、クリス・ウェバーそしてスプリーと揃ったチームも面白かったですね。
彼はのちに練習中コーチの首を絞めるという事件をおこし、出場停止をくらいトレードされるという目にあいますが、
ニックスであれだけの復活をするとは誰も思わなかったでしょうね。
いや~チームや選手はいっぱい出てきますね。
誰かと語り合いたいっす!
マイケル・ジョーダン一回目の引退が93年のオフ。
というわけで93シーズンまでを第Ⅰ期としました。
第Ⅱ期は「MJ引退&復活期」としてお送ります。
タグ :NBAマイケル・ジョーダン